鎮国守国神社(ちんこくしゅこくじんじゃ)【三重】

鎮国守国神社(ちんこくしゅこくじんじゃ)

創建/天明4年(1784年)
社格等/旧県社
主祭神/鎮国大明神、守国大明神
ご利益/家内安全、無病息災等


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【祭神】
鎮国大明神(ちんこくだいみょうじん)(松平越中守定綱公(まつだいらえっちゅうのかみさだつなこう))
江戸時代の大名。官名は従四位下、越中守。
定綱系久松松平家初代。
松平定勝(まつだいらさだかつ)の三男。徳川家康の甥に当たる。
慶長元年(1596年)、荒川次郎九郎の養子となるが、同4年(1599年)家康の命により荒川氏から松平氏に復する。
同7年(1602年)、初めて家康に拝謁、2代将軍・秀忠に仕えるよう命ぜられる。
同14年(1609年)、山川1万5千石を賜い、大名となる。
大坂の陣では書院番頭として出陣、その功により元和2年(1616年)、常陸下妻2万石に移る。
寛永10年(1633年)、大垣城6万石へ転じる。翌年、従四位下に昇進。
さらに同12年(1635年)、5万石の加増を受けて、桑名城に入る。
慶安4年(1651年)、江戸で卒去。享年60。
寛政9年(1797年)、鎮国大明神(ちんこくだいみょうじん)の神号を追祠される。

守国大明神(しゅこくだいみょうじん)(松平越中守定信公(まつだいらえっちゅうのもりさだのぶ)・楽翁公)
江戸時代の大名、老中。
定綱系久松松平家第9代当主。
江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。
宝暦8年(1758年)12月27日、御三卿の田安徳川家の初代当主・徳川宗武(とくがわむねたけ)の7男として生まれる。
天明3年(1783年)白河藩主就任。
天明7年(1787年)老中首座・将軍輔佐となる。
祖父・吉宗の享保の改革を手本に寛政の改革を行い、幕政再建を目指した。
老中失脚後の定信は、白河藩の藩政に専念する。
白河藩は山間における領地のため、実収入が少なく藩財政が苦しかったが、定信は馬産を奨励するなどして藩財政を潤わせた。
また、民政にも尽力し、白河藩では名君として慕われたという。
定信の政策の主眼は農村人口の維持とその生産性の向上であり、間引きを禁じ、赤子の養育を奨励し、殖産に励んだ。
文政12年(1829年)5月12日、死去。享年72。

●相殿神
旭八幡大明神(あさひはちまんだいみょうじん)(応仁天皇(おうじんてんのう))
応仁天皇(おうじんてんのう)は第15代の天皇であり、実在性が濃厚な最古の大王(天皇)とも言われる。
北九州の豪族国造宇佐氏の氏神だったが、数々の奇端を現して大和朝廷の守護神とされた。
清和源氏(せいわげんじ)をはじめ全国の武士から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。
託宣(しんたく・※1)をよくする神としても知られる。

※1…神懸かりになったシャーマンの口から発せられる言葉。

山末之大明神(やますえのだいみょうじん)(大山咋命(おおやまくいのみこと))
大年神(おおとしのかみ)天知迦流美豆比売(あめのちかるみずひめ)の間の子である。
名前の「くい」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味する。
『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑(なりかぶら・※2を神体とすると記されている。

※2…矢に付けて発射し,普通信号や警報を発するために使う。


天満天神(てんまんてんじん)(菅原道真公(すがわらのみちざねこう))
宇多天皇(うだてんのう)に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝(だいごちょう)では右大臣にまで昇った。
しかし、左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)に讒訴(ざんそ)され、大宰府(だざいふ・※3権帥(ごんのそち・※4として左遷され現地で没した。
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神(てんまんてんじん)として信仰の対象となる。
現在は学問の神として親しまれる。

※3…7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。
※4…副司令官。


八天宮(はってんぐう)(火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ))
記紀神話における火の神。
神産みにおいてイザナギイザナミとの間に生まれた神である。
火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。
その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(あめのおはばり)」で殺された。
全国の秋葉神社、愛宕神社、野々宮神社などで祀られている。


【由来】
天明4年(1784)白河(現福島県白河市)城内に松平定綱(鎮国公)を祀ったのが始まり。


【歴史】

文政6年(1823)白河から桑名へ移封にともない当社も桑名城本丸に移る。
のち松平定信(守国公=楽翁)をも祀り、明治維新後しばらくは本丸の外に移っていたが、明治40年(1907)本丸跡の現在地に移った。
大正8年(1919)に現拝殿が完成、昭和9年(1934)に楽翁公百年祭記念宝物館が完成。


【特徴】
戦災を免れたので、拝殿・社務所など戦前の姿を残している。
境内には楽翁歌碑がある。
主な社宝に「集古十種版木」、「松平定信像」、「類聚名義抄」、「松平家具足」、「脇差 来国光」、「刀 銘鳴神」や、舞楽面、楽器、定信考案模型類、各種の古地図・古文書など多数ある。
江戸時代、桑名藩主に金魚が献上され、明治時代に神社の例大祭で金魚の市が立った由来がある。
毎年5月2日・3日には例祭の金魚祭が行なわれ、この日は、境内に近郷の金魚屋が自慢の金魚を持ちより、境内いっぱいに金魚の露店をはじめ多くの店が立ち並び、午前中から夜まで参詣者や観光客で賑わいを見せる。
両日とも氏子各町からいろいろな形の金魚の神輿をかついで町内を練り歩く。
九華公園、桑名城跡が隣接している。


【境内外社】
・鎮国稲荷神社
稲荷大明神(いなりだいみょうじん)(倉稲魂神(うかのみたまのかみ))
『古事記』ではスサノオと神大市比売(かむおおいちひめ)との間に生まれ、大年神(おおとし)は兄としている。
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。
両書とも性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた。
伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。
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・九華招魂社
桑名藩領内殉難護国之英霊
元治甲子明治戊辰をはじめ大東亜戦争までの全ての戦役の郷土桑名出身の戦没者。
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・高龗神社
高龗神(たかおかみのかみ)
罔象女神(みつはのめのかみ)とともに、日本における代表的な水の神である。
日本神話では、神産みにおいてイザナギが迦具土神(かぐつちのかみ)を斬り殺した際に生まれたとしている。
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■レポ
参拝してから時間がたってしまったので細かい記憶がなく詳しいことが書けません。
申し訳ないです。
桜の季節に九華公園に行ったときに参拝してきました。
神社の存在にもこのとき初めて気付きました。
神社名を見て護国神社のような神社かと思ったのですが違うんですねー。
意外でした!
境内はわりと広いのですが、広々としているわけではなく細い道に区切られた造りになっておりちょっとした探検気分で参拝でしました。
近くには桑名城跡や本田忠勝公の像などもあり見所も多いです。
近くに行った際にはまた参拝したいです。



桑名市吉之丸9
0594-22-2238
駐車場あり
出典:Wikipedia「鎮国守国神社」(履歴)、神社内看板

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