豊川稲荷(とよかわいなり)【愛知】

豊川稲荷(とよかわいなり)

正式名/円福山 豊川閣 妙厳寺
創建/嘉吉元年(1441年)
山号/円福山(えんぷくざん)
宗派/曹洞宗
本尊/千手観音


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【本尊】
千手観音(せんじゅかんのん)
仏教における信仰対象である菩薩の一尊。
六観音の一尊でもある。
千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。
六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。
また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。

●鎮守
荼枳尼天(だきにてん)
仏教の神。
インドのヒンドゥー教の女鬼(半女神)に由来する。
「荼枳尼」という名は梵語のダーキニーを音訳したものである。
ダーキニーはもともと集団や種族をさす名であるが、日本の荼枳尼天は一個の尊格を表すようになる。
稲荷信仰と習合し、今日、寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を御神体とする。
俗に荼枳尼天は人を選ばないといわれ、誰でも願望を成就させると信じられたため、博徒や遊女、被差別階級等にも広く信仰を集めた。


【由来】
嘉吉元年(1441年)、曹洞宗法王派の東海義易(とうかいぎえき)によって創建。


【歴史】
室町時代末期、今川義元が伽藍(がらん・※1を整備した。
当時は、豊川(河川名)の近くに広がる円福ヶ丘という高台に伽藍(がらん)があったが、元禄年間までに現在地に移転した。
江戸時代になると、大岡忠相(おおおかただすけ)や渡辺崋山(わたなべかざん)からの信仰を受け、立身出世や盗難避けの神として江戸の庶民からも信仰されるようになり、文政11年(1828年)には、大岡邸の一角を借りて江戸参詣所(後の東京別院)が創建された。
皇族においては有栖川家等も帰依し、明治初年に「豊川閣」の篇額(へんがく・※2を寄進したことから、豊川閣とも呼ばれるようになる。
1871年(明治4年)、神仏分離令に基づき、妙厳寺にも神仏区別の厳しい取り調べが及ぶが、翌年には稲荷堂をそのまま寺院鎮守として祀ることが認められる。
しかし、それまで境内の参道に立ち並んでいた鳥居は撤去され、「豊川稲荷」「豊川大明神」の呼称も使われなくなった。
以降は「豊川吒枳尼真天」と号するようになる(だだし、間もなく通称として「豊川稲荷」と呼ぶことは復活する、現在の鳥居が立ったのは戦後である)。
現存する諸堂は江戸時代末期から近代の再建である。

※1…寺の建物。
※2…建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額(がく)、看板。



【特徴】
愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。
境内に祀られる鎮守の稲荷(吒枳尼天)が有名なため、一般には「豊川稲荷」の名で広く知られる。
豊川稲荷は神社ではないものの、商売繁盛の神として知られており、境内の参道には鳥居が立っている。
また、日本三大稲荷の1つとされる。

前述のとおり、豊川稲荷は吒枳尼天を鎮守とする。
縁起によると、鎌倉時代の禅僧・寒巌義尹(かんがんぎいん)が入宋し、文永4年(1267年)、日本へ船で帰国の途上、吒枳尼天の加護を受けたのがきっかけとなり、この天を護法神として尊崇するようになったとされる。
その後、寒巌の6代目の法孫にあたる東海義易(とうかいぎえき)が妙厳寺を創建するに際し、寒巌自作の吒枳尼天像を山門の鎮守として祀ったといわれる。
豊川吒枳尼天の姿は、白狐の背に乗り、稲束をかついで宝珠を持ち、岩の上を飛ぶ天女の形である。

正月の初詣期間中は大変な数の参拝客が訪れるため、元旦より1月5日までの9時~17時は豊川稲荷周辺及び門前通りの道路が完全通行止となり、全て歩行者天国となる。
年に2回、春季大祭(5月4~5日)と秋季大祭(11月22~23日)に稚児行列が行われる。
衣装は一般的だが、化粧は歌舞伎舞踊に近い厚化粧となり、巫女を思わせる熨斗飾りを付ける。


【諸堂】
・法堂
千手観音(せんじゅかんのん)
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文化10年春改築。更に天保年間に再建。


・本殿
荼枳尼天(だきにてん)
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明治41年起工、昭和5年完成。


・鎮守堂
白山妙理大権現(はくさんみょうりだいごんげん)白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、十一面観音菩薩を本地仏とする。
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もとは神楽殿であったが、昭和5年に修築。


・宝雲殿
釋迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)釈迦の尊称。
十三佛(じゅうさんぶつ)冥界の審理に関わる13の仏。


・万堂
不動尊(ふどうそん)明王の一尊。大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。
文久3年建立。


・弘法堂
弘法大師(こうぼうだいし)真言宗の開祖。


・大黒堂
大黒天(だいこくてん)密教の大黒天が元になり出来た仏教の天部に属する神。
土蔵造りのお堂で、堂前に立つ石像は、手に触れさすることで福徳を授かると言われる。


・景雲門
安政5年創建。もとは奥の院拝殿であったが、昭和5年に移転。彫刻は諏訪和四郎の作。


・奥の院
文化11年建立。もと本殿の拝殿であったのを昭和5年の改築に際して奥の院拝殿とした。


・総門
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入母屋造、唐破風付きの四脚門。1884年(明治17年)建立。


・山門
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當山最古の建造物で天文年間に今川義元公が寄進。入母屋造楼門。天文5年(1536年)建立。


・鐘楼堂
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昭和12年春改築。梵鐘は戦中、国に徴用されたため昭和20年12月8日改鋳造したもの。


・霊狐塚
1,000体以上の狐の石像が安置されている。


・最祥殿
「書院」とも。信者の接待用の建物で、内部には400畳の広間がある。1929年(昭和4年)建立。



■レポ
有名なお寺だけあり、境内はとても広く、伽藍も立派です。
特に荼枳尼天を祀ってある拝殿はその大きさや雰囲気に圧倒されました。
境内には緑が多く池などもありゆったりとした気持ちで参拝することができます。
参拝者の方達が奉納したのぼりの紅白もとても綺麗でしたし、1,000体以上の狐像など興味深い物も色々ありました。
ご朱印の美しさにも感動。
門前町では色々な種類の稲荷寿司が売られており1個から買うことができるので、食べ比べしてみるのもいいかも。
門前町で買うことができる宝珠まんじゅうは中のあんに毎月御祈祷を受けたお米がこうじにして入れてあるそうです。



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愛知県豊川市豊川町一番地
0533-85-2030
駐車場あり(1日500円)
出典:Wikipedia「豊川稲荷」(履歴)、豊川稲荷公式ホームページ、境内看板

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