賀多神社(かたじんじゃ)【三重】

賀多神社(かたじんじゃ)

創建/伝・神亀元年(724年)
社格等/郷社
本殿の様式/神明造
主祭神/天之忍穂耳命
ご利益/家門の繁栄、商売繁盛、入学、就職、結婚、病気平癒など


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【祭神】
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやびあめのおしほちみのみこと)
『古事記』では、アマテラススサノオとの誓約(うけい・※1)の際、スサノオアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長男(『日本書紀』の一書では次男)で、勾玉の持ち主であるアマテラスの子としている。
高木神(たかぎのかみ※2)の娘である萬幡豊秋津師比売(よろづはたとよあきつしひめ)との間に天火明命(あめのほあかり)邇邇芸(ににぎ)をもうけた。
葦原中国平定の際、天降って中つ国を治めるようアマテラスから命令されるが、下界は物騒だとして途中で引き返してしまう。
建御雷(たけみかづち)らによって大国主(おおくにぬし)から国譲りがされ、再びオシホミミに降臨の命が下るが、オシホミミはその間に生まれた息子の邇邇芸(ににぎ)に行かせるようにと進言し、邇邇芸(ににぎ)が天下ることとなった(天孫降臨)。
稲穂の神、農業神。

※1…地上から高天原(たかあまがはら)に登ってきたスサノオに高天原を奪うなどという邪心のないことをアマテラスに示すための占い。ここでは互いのものを交換して、それによって生まれた子の性別で判断を行っている。

※2…高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と同一


●合祀されている祭神
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまぬくすびのみこと)
多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)
市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)
多岐都比売命(たぎつひめのみこと)



【由来】
神亀元年(724年)に創建されたと伝えられる。


【歴史】
正徳3年(1713年)の『志陽略志』における八皇子社が当社であるとされる。

明治4年(1871年)に賀多神社と名称を変更するとともに、郷社となる。
明治40年(1907年)1月21日に境外の大杉社(無格社)を合祀した。
同年10月4日に境内社の岩崎神社・八幡社・子安神社・山之神社2社と、境外社の岩崎ノ上日吉社(無格社)・秋葉社・山之神社・稲荷社4社(いずれも無格社)・琴平社(無格社)を合祀した。

享保18年(1733年)より、外宮別宮の多賀宮・月夜見宮の式年遷宮の古材を譲り受け、神明造の社殿に造り替えられた。
明治43年(1910年)には多賀宮・月夜見宮に加え、内宮と伊雑宮の古材を譲り受けたという。


【特徴】
志摩地方で2社しかない郷社の社格が与えられた神社。
九鬼嘉隆(くきよしたか)が戦勝祈願に訪れたといわれ、竜灯松(りゅうとうまつ)と呼ばれていた神木を刈り、軍船日本丸の船床に用いたという。
嘉隆はのちに杉を1,000本植えたと伝えられており、九鬼の千本杉と呼ばれたという。
2006年現在、そのうちの1本だけが境内に残存している。
嘉隆以後の歴代鳥羽城主からも崇敬された。

20年毎の遷宮にあたり、伊勢神宮外宮の別宮である多賀宮と月夜見宮の古材を用いる。


【摂末社】
・豊栄稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ)

・祖霊殿(それいでん)
日清戦争・日露戦争・太平洋戦争で戦死した氏子を祀る



■レポ
鳥羽駅から徒歩10分ほどの小さな商店街の中にあります。
参道には普通に民家が建っているので見落としそうですが由緒ある神社のようです。
木々が自然な感じで生い茂っているのもあり山の中にいるような気分になります。
一人で行くと少し寂しい気持ちになりそう。
鳥羽駅から近いので観光しつつ参拝するのがよいと思います。
大きな神社ではありませんが小さな神社ならではの静けさがあっていいですね。



三重県鳥羽市鳥羽二丁目9-1
0599-25-2392
駐車場無し
出典:Wikipedia「賀多神社」履歴)、伊勢志摩きらり千選

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