龍城神社(たつきじんじゃ)【愛知】

龍城神社(たつきじんじゃ)

創建/不明
社格等/県社
主祭神/徳川家康・本多忠勝・天神地祇・護国英霊
ご利益/出世開運、厄除、合格祈願など


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【祭神】
徳川家康(とくがわいえやす)
日本の戦国武将、江戸幕府初代征夷大将軍。
徳川氏の祖で、いわゆる三英傑の一人とされる。
徳川家康は、織田信長と同盟し、豊臣秀吉に臣従した後、日本全国を支配する体制を確立して、15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上も続いた戦乱の時代(戦国時代、安土桃山時代)に終止符を打った。
死後、東照大権現(とうしょうだいごんげん)として神格化され、「神君」、「東照宮」、「権現様」(ごんげんさま)とも呼ばれて、信仰の対象となっている。

本多忠勝(ほんだただかつ)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
徳川氏の家臣。
上総国大多喜藩初代藩主、伊勢国桑名藩初代藩主。
忠勝系本多家宗家初代。
徳川四天王・十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。
生涯において参加した合戦は五十七回に及んだが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられている。
死後、映世大明神(えいせいだいみょうじん)として祀られる。


【由来】
社伝によると、三河国守護代西郷稠頼(さいごうつぎより)が岡崎城を築城したさいに龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて天に去っていたという。
以降、天守に龍神を祀り、城の名を龍ヶ城、井戸の名を龍の井と称したという。
後に岡崎城で徳川家康が誕生したさいにも金色の龍が現れたという。


【歴史】
寛永年間のころ、徳川家康を祭神として東照宮(※・とうしょうぐう)を岡崎城天守に祀る。
明和3年(1766年)、岡崎藩主本多忠粛(ほんだただとし)により東照宮は岡崎城三の丸に遷座。
本丸には本多忠勝を祭神(映世大明神)とする映世神社(えいせいじんじゃ)が創建される。
明治9年(1876年)、東照宮を岡崎城本丸に遷座、映世神社と合祀して龍城神社(たつきじんじゃ)に改称するが、明治13年(1880年)に岡崎東照宮(おかざきとうしょうぐう)に改称する。
大正元年(1912年)、再び龍城神社に改称。
大正3年(1915年)に県社となる。
前身となった東照宮、映世神社はともに岡崎城の建物内に祀られていたため、社殿が造営されたのは明治9年(1876年)が最初であったという。
この社殿は昭和23年(1948年)に焼失。
現在の社殿は昭和39年(1964年)の再建である。
このさいに天神地祇(てんじんちぎ)、護国英霊を合祀する。

※東照大権現たる徳川家康を祀る神社。


【特徴】
岡崎城東に鎮座する、東照宮の一つ。
岡崎城は徳川家康の生地で別名、龍城。
敷地である岡崎公園は日本さくら名所100選に選定されている。
徳川家康とその家臣団についての歴史博物館「三河武士のやかた 家康館」を始め、復元された岡崎城天守閣、二の丸能楽堂、巽閣、茶室葵松庵と城南亭などが広い敷地に点在している。
当社は結婚式場としても有名なようである。

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レポ:
徳川家康公の出生地である岡崎城の真横に鎮座する神社。
社殿は大きくはありませんが、岡崎城と一緒に佇む姿に戦国時代に思いを馳せてしまいます。(社殿は比較的新しいですが…)
4月の初めに参拝しましたが丁度桜まつりだったのもあり、岡崎公園には屋台がたくさん出ていました。
公園内の三河武士のやかたも見学しましたが、徳川家康の生涯に沿って説明されており予想以上に楽しめました!
私は本多忠勝贔屓なので大満足でした。
ただ本多忠勝が龍城神社の祭神のひとつになっていることは後から知りました。
やっぱり先に調べてから行くべきですね。
公園内では岡崎名物八丁味噌の田楽なども売っています。
観光としても十分楽しめると思いますよ。



愛知県岡崎市康生町561
0564-21-5517
駐車場あり
出典:wikipedia、龍城神社ホームページ

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