大徳院(だいとくいん)【愛知】

大徳院(だいとくいん)

正式名/鳳凰山 大徳院
創建年/推古天皇6年(598年)
山号 /鳳凰山
宗派 /真言宗智山派
本尊 /恵比寿大黒天
御利益/商売繁盛、社運隆盛、福徳開運

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【本尊】
恵比寿(えびす)
日本の神。七福神の一柱。
狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的。
「えびす」を称する神は複数あって、イザナギイザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(おおくにぬしのみこと)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。
中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神として祀られるようになる。
留守神※という神格も後に与えられた。

※神無月に出雲に祭神が出向いてしまっては、その地域を鎮護(ちんご)するものがいなくなるということから、「留守神」と呼ばれる留守番をする神が考え出されるようになった。

大黒天(だいこくてん)
天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神または厨房・食堂の神ともされる。
日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主(おおくにぬし)と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。
後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。
室町時代以降は大国主(おおくにぬし)の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。
現在においては一般には米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。


【由来】
推古天皇6年(596年)創建。


【歴史】
建久5年(1196年)源頼朝の命により恵比寿大黒天の二尊像が奉安される。
慶長12年(1607年)左甚五郎(ひだり じんごろう)が本尊の霊姿に感動し数ヶ月滞在し、二天像を彫刻し住職に寄進。これが現在の本尊だと言われている。


【特徴】
甚目寺の東に位置しており、甚目寺の参拝経路に入っている。
尾張三霊場の第二番札所。
当院の木版刷り御影は上へ上へと重ねると益々福が積もると言われており、名古屋の老舗が数多く御影を受けて参拝している。
本殿正面に、願掛けえびす天、願掛け大黒天があり、紫色の紐を自分の首にかけ、それを女性はえびす天、男性は大黒天にかけて願掛けすると願いが叶うという。


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レポ:
甚目寺のすぐ隣にありますが、甚目寺と比べる小さく参拝客も少ないようです。
本尊が恵比寿様大黒天様ということで親しみを感じますね。
願かけえびす大黒天様の笑顔に癒されます。
おみくじの柄が可愛かったのが印象的でした。



愛知県あま市甚目寺東門前26
052-444-0241
駐車場あり
出典:大徳院ホームページ

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