真宗大谷派名古屋別院(東別院)(しんしゅうおおたにはなごやべついん(ひがしべついん))【愛知】

真宗大谷派名古屋別院(東別院)(しんしゅうおおたにはなごやべついん(ひがしべついん))

創建年/元禄3年(1690年)
宗派 /浄土真宗
寺格/別院
本尊 /阿弥陀如来


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【本尊】
阿弥陀如来(あみだにょらい)
大乗仏教の如来の一つである。
空間と時間の制約を受けない仏。
無明の現世をあまねく照らす光の仏とされる。
西方にある極楽という仏国土(極楽浄土)を持つ(東方は薬師如来(やくしにょらい))。
造形化された時は、装身具を着けない質素な服装の如来形で、定印(じょういん)・説法印(せっぽういん)・施無畏印(せむいいん)・与願印(よがんいん)を組み合わせた九品来迎印(くぼんらいごういん・※)を結ぶ姿で表されることが多い。
阿弥陀三尊として祀られるときは、脇侍に観音菩薩(特に聖観音)・勢至菩薩(せいしぼさつ)を配する。

浄土真宗においては、阿弥陀如来一仏を本尊とする。

※阿弥陀如来特有の印相。阿弥陀如来は極楽浄土にから迎えにくる際、人間の能力や信仰の程度によって、九つの段階に分け、その人にふさわしい印を表す。


【由来】
元禄3年(1690年)、尾張の地に本願念仏のみ教えを伝える道場として、一如上人(東本願寺第16代)によって開かれた。
尾張藩第2代藩主・徳川光友(とくがわみつとも)より織田信秀の居城・古渡城(ふるわたりじょう)の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。


【歴史】
元禄3年(1690年)、建立。
当初の本堂は元禄15年(1702年)建立。
文化2年(1805年)、五代惣兵衛が本堂を再建。
文政6年(1823年)、新たな本堂が竣工した。
この年、本山の御影堂と阿弥陀堂が焼失。
緊急の措置として、別院(当時の呼称は「名古屋御坊」)の古御堂が東本願寺の本堂とされた。
昭和20年(1945年)3月12日、名古屋大空襲の被害を受け、本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失した。
現在の本堂は、昭和37年(1962年)に再建されたものである。


【特徴】
通称は、「東別院」、「東御坊」、「名古屋東別院」、「東本願寺名古屋別院」。
愛知県名古屋市中区にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。
真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。
開基は、東本願寺第十六代法主一如(いちにょ)。
真宗大谷派の別院としては全国最大規模。
明治7年(1874年)5月1日から6月10日にかけて開催された、「名古屋博覧会」の会場としても使用された。


【施設】
・古渡城址碑
境内地は古渡城の跡地と伝えられる。織田信秀は那古野城を息子信長に譲り、自らは古渡城を居城とした。天文15年(1546年)、信長はこの城で元服したといわれる。天文17年(1548年)に廃城。


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■レポ
四月の初め頃に参拝してきましたが丁度桜が満開でとても綺麗でした!
平日でしたが桜を見に来たらしき参拝客のかたがけっこういらっしゃいました。
名古屋では地下鉄の駅名になっていることもあり有名なお寺だけあって、大きな本堂と山門に圧倒されました。
すぐ前には車通りの多い道路がありますが、境内は広々としていてとても心が落ち着きます。
都会のゴミゴミした中ににこういうお寺があると、なんとなく安心できますね。



名古屋市中区橘二丁目8番55号
052-321-9201
駐車場無料
出典:Wikipedia「真宗大谷派名古屋別院」履歴)、お東ネット

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